いつもはチラシなんぞ歯牙にもかけないんだけど、その時はたまたまっていうか、よく目立つデザインだったし、内容も。
(トリック・アート展………)
地元の美術館がやるそうだ。
トリックアートと言えばあれだ。つまり、騙し絵。
あたかも実物のように描かれたり、額から絵がはみ出ていたり、とにかく芸術というより遊戯みたいなアレだ。正直、ルノアールだのフェメールだのモネだのってのより、俺はこっちの方が好きだな。
たぶん、爆。
あいつ、こーゆーの好きそうだなー……
いつも食ってばっかも何だし、たまには、こんなのもいいよな。
美味しそうに食べてる姿もいいけど、はしゃいでる爆も………
……いや、それはどうでもいいよな。それは。
さて、日付は。
「来週はだめだ。もう予定が入っている」
「え」
ムシャムシャと中身が零れないように注意して、ハーブチキンサンドを食べながら爆が言う。
……いや、ね。
必ず毎回約束つけてくれるって思ってる訳でもないし、そりゃー爆にも色々予定はあるだろうし、俺を最優先にしなくちゃならい義務なんか何もないし、って、俺はどうして自分を慰めるような事を並べているんだろうか?
「行きたかったんだがな。少し残念だな」
俺はなんだかだいぶがっかりしてるよ、爆。
「…………」
話しかけようとして、無意識にまず、紅茶を口に含む。緊張をほぐすみたいに。
「えー…………」
からからとストローを回し、さりげなくさりげなさを漂わせて。
「その日……はさー、何すんの?」
「何で言わなくちゃならないんだ?」
「……………」
うん。そーだよね、めっちゃそーなんだけど。そーなんだけど!
「……ちょっと、気になったから」
実はかなり気になってる。誰なんだよ、爆。俺より優先させる相手ってのは。いや、別に俺は爆の恋人って訳じゃないんだから、どんな人でもじゃんじゃんばりばり会った所で不都合は無いんだろうけど。
あー、俺は何時の間にこんなぐだぐだと自分を傷つけないようにいい訳する男になったんだ!?
「…………」
爆は、付け合せのプチサラダを食べる。
「その日は、保護者と遊びに行くんだ」
唐突にぽつり、と言ったから、何の事かが一瞬すぐには解らなかった。
「あー、あの……忙しいとかいう?」
俺に似ているとは、言いたくはなかった。何となく。
爆はこっくり頷いて、
「時間が出来たそうだ。ゆっくりすればいいのに………」
そう言って、困ったような嬉しさを隠し切れないような、そんな顔をした。
「…………」
まぁ、保護者なら、うん。仕方無ぇ……よな?
そんな嬉しそうにするのも、今からその時の事を想像しているようなのも。
当然の事……よな?うん………
うん………
うん……
「激、残すのか?」
「……欲しかったら、あげる」
「貰う」
とりあえずこの場は物で吊ることで、俺に意識を向けさせて。
そんな訳で今週末の予定は白紙になった。
今、部屋で、ベットに寝転がっている。
なんか、久しぶりだなぁ、何処にも出かけないの。最近、爆と一緒に出かけてばかりだったから。
いや、爆に予定があるからって、俺が引きこもってなくちゃならない謂れもへったくれも無いんだけど。
だけど、何かするのも……
…………
外、いい天気だな………
……………
………俺、
爆と出会う前、どうやって過ごしていたんだっけ?
あ。
そう言えば、今日って確か馬の散歩の日じゃなかったっけ。爆に教えてもらったんだよな。
……今から出れば、間に合うなぁ……
………
しゃーねぇ、行くか。こうして部屋で転がってても非生産的なだけだし(かと言って馬を見るのが有意義とも言わないけど)。
部屋にずっと居たせいか、玄関出た時に晴天の太陽が眩しい。
爆も、見上げて眩しいとか、思ってんのかな。
なんて、ちょっとセンチメンタルだな、俺………
何をそんなに寂しいのか。
爆が居ないだけなのに。
ぱからん、ぱからん、ぱからっ。
「……………」
ナイーブな俺の前を、馬が通り過ぎる。
……閑静な住宅街を馬が闊歩してる光景ってのは、マグリッドやキリコもびっくりなシュールさだよな……
なんて画家の名前が出る所を見ると、俺はかなり爆と美術館に行けなかったのが堪えてると見える。
前はこんな一人に固執するなんて事、無かった。、人生をエンジョイしながら面倒な事は適当に切り上げてきたってのに。
間違っても、こんな憂鬱ともとれる心情で休日を迎えたはしなかった。
あーぁ、俺はいつからこんな人間に、
”どうしてそんなに、寂しそうなんだ?”
「……………」
ぱからっぱからっ。
………うーん、慣れない……街中に馬………
さて、これからどーするかね。
ここでぶらつくか、帰るか………
「話にはよく聞いていたが、初めて見たな」
「都市伝説だとな、白馬を見るとその時の恋がかなうとか言われてるんだぞ。と言っても実在はしないらしいが」
…………
この声って。
まさか!いや、まぁこっちはあっちの地元だけど!これも教えてもらったんだけど!
「じゃぁ、店の案内は任せようか」
「頼りにしていいぞ。美味い店には自信がある」
「はは、それは確かに頼もしいな」
………やっぱり………
爆。と、その保護者だ。
ドック、ドック、と心臓が大きく伸縮をしているような気がする。耳元にあるみたいだ。
どどど、どうしよう。
って言うか、別に悪い事なんか何もしてないってのに、何でこんなに挙動不審にならなきゃならないんだ!?
あああ。でも、早く、逃げなきゃ……って、だからどうして姿晦まさなきゃならないんだってーの!
相手は知り合いだろ?来てると解ったら、顔出してやぁこんにちわくらい言うだろフツー!
よし言え!頑張れ俺!いや、だから頑張る必要も無ぇだろ!!
………ふー………
よし、何度か深呼吸をして、ちょっとは落ち着いたぞ……
声の大きさからして、結構近くまで来ているな……うん、たまたま通りかかったんだよってな感じで颯爽と参上しようじゃないか。ふっ、何を臆することがある!
この曲がり角を曲がれば、爆達とかち合う。
一歩一歩、進む。
曲がり角に来て、右を向く。
「それで、………あ?」
爆が気づいた。
俺は友好的な笑みを浮かべ、片手をあげて挨拶する。
「よう、爆。奇遇だ……な………」
「爆、知り合いか?」
爆の隣に居るのは。
爆が保護者と一緒に遊びに行くと言ったのだから、保護者のはず。
なのだが。
若い。
かなり若い……てか、俺よりせいぜい一つ上くらいなんじゃねーの?
保護者?え?保護者?
なんか、むしろそいつが保護されてて可笑しくないよーな感じなんだけど?
……保護者?
「……激?おーい、激?」
「ほぅ、激という名前なのか」
「これから行く店も、こいつに教えてもらったんだぞ」
「そうか」
俺を置いて、なにやら勝手に会話が進んでいった。
は、と気づけば挨拶を交わして(無意識に)別れた後だった。
次の週。爆に会う。
「…………」
「激」
紅茶のカップを置くと、爆が話を切り出す。
「訊きたい事があるなら、言ったらどうだ。メシがまずくなる」
メシかよ。
「じゃぁ……言うけど……」
言いたいけど、本当に言いたいけど。
同じくらい、言いたくなかった。
言ったら、絶対何かが変わる。
「その、だな、この前、保護者と一緒に行くんだって、言ってたよな?」
「あぁ」
「で、居たのは……なんか、それっぽく見えないなーって」
「…………」
あ、黙った。て、事はやっぱり図星?
「べ、別に、怒ってるんじゃねーよ?俺は?ただ、そんな嘘言わなくても……」
「嘘じゃないぞ」
爆は、静かに言う。
「あれは正真正銘、オレの保護者だ。……オレの、叔父に当たる」
「叔父。……叔父ぃ?だってめちゃ若くねぇー!?」
「そうだな。多分、貴様の一つ上だ」
若い……どころか兄弟でも可笑しくねぇ歳の差じゃん!
「って事は……かなり歳が離れてるんだなー、オメーの母親と……」
「みたいだな」
と、爆がとても不確定な言葉を言う。
「みたいだな、って?」
「………」
また、黙ってしまった。
何だろ。
そーいや、爆、あまり家族ってか親の事、話さないよな。俺もあんま言わないけど。
視線を紅茶に移したままの爆。俺の心臓は、また鼓動を大きくする。
緊張している。後悔している。
俺は、今、パンドラの箱を開けようとしてるんじゃなのだろうか、と。
「……ば、」
「知りたいか?」
何かの決心をしたのか。
爆は顔を上げ、まっすぐに俺を見て、それ以上にさらに真っ直ぐに、そう問いかけていた。
今の爆の言葉こそ、パンドラの箱の蓋だろう。
でも神話がそうだったみたいに、俺もその誘惑に抗えず、頷いてしまっていた。
「率直に言わせてもらえば、オレは親の顔は知らないんだ。二人ともな」
「なっ………え、えぇぇぇっ!?」
驚くまい、と決めた端から驚いてしまった。
「物心ついた時には、炎と、お手伝いさんみたいな人と暮らしていた。小さい頃はそれが当然だと思っていたから、幼稚園に上がってからだな。自分の環境が周りと違うという事に気づいたのは」
「……向うは、その理由知ってんのか?」
「多分な」
なんでもない事のように、言う。
「訊いたりは、」
「していない」
「なんで」
「言わないからだ」
爆は、まだ10歳。まだ、子供。
でも、そう言った時の眼の光の強さは、何者も太刀打ち出来ないくらいで。俺も。
「知らないオレより、知っている炎の方がずっと辛い筈だ。
一回だけ、訊いた事がある。そうしたら、炎は、時期が来たらちゃんと教えると言ったんだ。
だから、オレは訊かないんだ。その言葉が嘘であれ、本当であれ、オレはもうあんな顔はさせたくはない」
「…………」
「それに、知りたくなったら、いざという時は自分で調べればいいしな」
それが、爆の結論なんだろうな。きっと、何度も何度も自問自答して出した。
なら、それについて、俺が口を出す隙なんて無いだろう。
……それは、いいとして……だけど……
「……なぁ、爆……」
「何だ?」
ずっとずっと訊きたかったんだ。どうして俺とこうして会っているのか。爆だって、同年代と遊ぶ予定のひとつでもあるだろうに。
それだってのに、俺と居るのは。
居るのは。
親の事で負い目があって、素直に甘えられない叔父の代わりにしてた、とか?
俺があちこち案内しては、自分の年齢には不相応な所でも喜んでいた爆。
俺と歳が近いから、当人に案内されてる気分になってた?
適当に声をかけてほいほい追っかけてきたのがそんなに害も無さそうな相手だったから、適当に利用してたの?
俺じゃなくても、良かった?
「その、もうすぐテストだからさ、」
そうじゃないなら、違うのなら
”俺”に会いたいなら
「ちょっと暫く会ってらんねーや」
嫌だと言ってみて
悲しそうな顔してみて
「そうか」
返って来たのはありきたりの答えにいつもどおりの表情。
◆◇◆
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