”風が優しく伝わって君は囁くよ 色褪せない空気から帰りたくないと”
「お前……免許、持ってたのか?」
「うん、あれ、言ってなかったけ?」
聞いてない。
アイスコーヒーをシロップを入れないで、啜る雹に、俺は心の中でだけ呟いた。
どうでもいい、って事にしておいた。じゃないと、オレがこいつに執着してるみたいで、なんだか腹立つから。
雹が車の免許を持っているのが発覚したのは、「今度の休みは、免許の更新に行かないといけないから、爆くんに会えないや」と心底残念そうに言ったからだ。
話を進めると、雹は普通自動車免許を持っていると言った。
家に帰って真達とかに話を聞いたら、そういう言い方をするのなら、AT限定じゃないんだろう、って事だ。つまり、雹は乗客で商売をするのでないなら、大概の車種は運転出来る事になる。
「爆君、車乗りたい?」
凄く唐突に言った。
「今度、ドライブしようよ。ドライブ……って言ったら、やっぱり海岸沿いだよね、うん」
何か拘りでもあるのか、勝手に断定する雹。
「行ってやってもいいが、運転の腕は確かなんだろうな」
「大丈夫だと思うよ。結構転がしてるし」
何とでもない事のように言う。それが過信でないのを、今は祈るばかりだ。
ある日、雹が言った。
「どんな高名な教授や研究者が、人間が飛べると言っても、僕は信じないよ。
でもね、爆くん。君が言うなら、信じるよ。
君が言う事は、きっと出来る事だから」
まず、迎えられて驚いたのは、車だった。
海みたいに青いスポーツカー。どんな種類なのかは知らないが、すれ違う車の運転手が思わず注目していたくらいだから、きっと希少なんだろう。
そして、次はその運転手。雹だ。
黒いパンツ、黒いノースリーブのシャツ。リストバンドも黒くて、腰に巻いたチェーンが場違いに際立っている。
サングラスは真っ黒じゃなくて濃い青で、今は胸ポケットに掛けてあった。
いつもの雹の印象とはまるで違う、「ワイルド」って言葉を羽織ったような格好だった。
「………………」
「よぉー、雹。随分様変わりしたなー」
ただただ沈黙するオレに代わってか、いつの間にか起きていた現郎が背後から現れた。
「ま、たまにはこんなのもいいのかと思ってね。
どう?爆君、僕にいつもと違った魅力を感じない?」
「バッ………!……何を馬鹿な」
思いっきり否定するのはある意味肯定だ、と、オレは落ち着いた声で言った。
「君はいつも通りとっても素敵だけどね」
と、雹は頭にキスをした。
しまった、避け損ねた!
それもこれも、いつもと違う雹が悪い!
離せ、と腕から逃れて、早くするぞ、と助手席に乗り込んだ。
やっぱり本人の性格は運転に影響するのか、雹の運転はとてもスマートだった。
発進や停車、カーブなどであまり身体に重力の負荷が感じられない。けれど、スピードがそれなりに出ているのが、なんだかとても雹らしかった。
トンネルを抜け、暫く走ると横に海原が広がった。光を反射して、とてもキラキラしている。
窓越しじゃなくて、そのままに見られる光景に、しばらく見入った。
「何処かに降りる?」
そんなオレの様子に気づいたのか、雹が言った。
「そうだな、浜辺に降りたい」
「任せといてよ」
そう、何気なく言う雹が、とても頼もしく思えた。
そんなやりとりをしてから、更に1時間程走った。
海は見えるが、人は段々と居なくなる。
「何処に行くんだ?海水浴場は、もう終わりみたいだぞ?」
「僕のプライベート・ビーチがあるから、そこに行こうよ」
……プライベート・ビーチ………つまり、私有地か。
「お前は……金を使い過ぎだぞ」
「僕が買ったんじゃないよ。勝手に親が残したんだ」
そういう問題でもないだろうに……
着いたビーチには、南国使用の家屋があった。
これって、やっぱり……
「ちょっと汗かいたから、着替えようね。シャワーも浴びて」
その家に、雹が当たり前に連れて行った。
「この前、チャラに言って使えるようにしてもらったから。とりあえず、爆君はこっち」
と、部屋に案内する。
「僕は着替えてくるから、爆君も着替えるといいよ」
そう言われたものの、オレは着替えなんて何も持ってない。
上着くらいは、脱いでおこうか、とハンガーを探しクローゼットを開けると。
「……………………」
すぐさま、オレは隣の部屋の雹に駆け込んだ。
「雹!!」
「あ、爆君v」
上半身を裸にして、服を選んでいる雹が振り向いた。
「”あ、爆君”じゃないだろう!どういう事だ!?あの服は!!」
「あれ。サイズ合って無かった?それとも、デザインが………」
「だから、そういう問題じゃないだろうが!!」
根本的に何かがずれている雹に、怒鳴る。
開けたクローゼットには服の群れ。どう見ても、10着以内ではなかった。
「こういうのを、無駄使いというんだ!さっさと返品しろ!」
「あのね、爆君。勘違いしやすいんだけど、不良品じゃない返品は義務じゃなくて、サービスなんだよね……」
確信犯な笑みを浮かべて、雹が言う。
「だから、多分受け取ってくれないかもv 」
プライドの高そーな店長さんだったしね、と付け足し、更に。
「それこそ、無駄使いになっちゃうかもね」
「………っ」
そう来るか………!
………仕方ない。ここは、降りてやろう。ドライブしてもらった、という恩もある。
が。
「今度は、許さんからな」
「うん、解った」
反省しているのかしないのか、にこにことした笑顔で雹は言った。
置いてある服は、多分雹が買った物だと思われる。あいつの趣味がはっきり出ていた。
その中でも、少しでもマシなのを探す。
が、それでも何でこんな所からチェーンが出て、こんな所に繋がってるんだ?ここのチャックは何の為だ?こんなに透けた上着がいるのか?というようなシャツだ。
そして、下はどうしてか短パンしかないし………上も、なんだか露出が高めだし………
しかし、汗をかいた不快感には敵わない。
シャワーを浴びて、着替えてくれば、「爆君可愛い〜vvv」と薔薇とハートを散らしながら雹が迫ってきたので、いつものように足底で撃退した。
懲りないヤツだ、全く。
ともあれ、海だ。1年ぶりの夏の海だ。
楽しもう。
「気持ちいいな」
サンダルは脱いで、素足で水際まで寄った。ぱしゃん、と寄せては返る波が、何だか誘う腕のようだった。
すでに昼を大幅に周り、夕方に近づいてきた時間だが、海の水は冷たくて、それがとても気持ちよかった。
こんな時間じゃ、泳ぐのは中途半端か………
「気持ちいいね」
少し遅れて来た雹が、オレに並んで同じ感想を言う。
迎えに来た時の、ビジュアルバントみたいな黒一色の姿ではなく、目の前の海と季節に相応しいような、涼しげな色のシャツ。白のズボンにアルファベットが散らばったベルトをしている。
海から来た潮風が、雹の繊細な髪を空気に溶かすみたいに散らばめる。
その光景を見て、あぁ、こいつはやっぱり格好いいな、と思う。
少々やり方に問題はあるが、細やかな気配りも出来るし、容貌の事もあり、誘われて拒む女性なんて、居るんだろうか。
「……なぁ、雹」
「何?」
「……あの、別荘、他にも誰か………」
招いたのか、と。
その質問の下らなさに気づき、途中で止める。
波の音が、鼓膜を揺らした。
「居ないよ」
と、雹が唐突に言い出した。
「ついで言うと、あれ、親も入れた事が無いんだ。と、いうか、来る気も無いんだろうね、あの人達」
そう、何でもないように言う雹が、少し哀しい。
「だから。
雑用済ます為にチャラは入れたけど、招いたのは、爆君が初めてだよ」
「……………」
「これからも、誰も入れる気は無いね」
「……そう、か………」
顔が熱いのは……日焼けのせいだ。絶対。
絶対。
「日が沈むなぁ………」
雹が残念そうに言った。
日が沈むという事は、オレは帰らないといけないという事だ。
しかし、雹。
貴様は忘れている。
今は、夏休みなんだぞ。
「……泊まる」
「えっ?」
雹がこっちを振り向いた。
「貴様に都合が無いなら……今日は、あの別荘に泊まる」
泊まる、というより、本音は………
「……まだ、帰りたくない………」
囁くみたいな小さい声で言った。
それでも、雹は聞き取れていたらしく。
ぎゅ、とオレを抱き締めた。
<END>
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