幸せって何処にあると思う?
此処にないならとんでも無い遠くに
こんっこんっとノックの音がする。
誰かしら、と床を掃除していた手を止めて、ふと扉を見やると、すかさずカルシファーが「荒野だよ」と場所を教えてくれた。
荒野とは、これまた誰が尋ねてきたのだろうか。
少し首を傾げながらも、ノックしたという事は用があってだから、と扉を開く。
初めに飛び込んだのは、魅惑的な真紅。薔薇の花束。
「------………?」
少し視線をずらせば、それを持つ者の顔が見れた。
この人は、とソフィーは。
その人は帽子を取り、実に優雅な仕草でソフィーに一礼した。
「ごきげんよう、ソフィー。宣言した通り、改めてお礼に-----」
と、一陣の風が吹いた。
いや、それは突進してきたハウルで。
開いていた扉を、その向うに居る人の安否なんか知った事ではないといった感じに強烈なキックで閉じた。
「…………」
一瞬の出来事に、ソフィーは、ただ見ているしか出来ない。
ハウルは、ふぅ、と額を拭う仕草をして、真剣な顔でソフィーに向き直る。
「危ない所だったね、ソフィー。今のは王子の振りをして尋ねては難癖付けて金をせびろうとする新手の振込め詐欺だよ。通称カブカブ詐欺だ」
「しれっと嘘を並べるな--------!!!」
ハウルと同等の威力で隣国の王子ことカブ(仮称)も扉を蹴り開ける。
この扉、案外丈夫ね、とソフィーは何処かずれた感想を抱いていた。
「あぁ、まだ居たのかい?ほら、手頃な棒をあげるからこれで撥ねて帰りなよ。って言うかあれの動力源はどうなってるんだい?」
「そんな事はどうでもいい!!」
いや、ちょっとは気になるぞ、とカルシファーは暖炉にのそっと乗っかって思う。
カブは、ぱんぱん、とついてしまった埃を取り、ソフィーへと最上級の笑顔を投げかける。
「本当なら、もっと早くに訪れたかったのですが、何せ長い事行方不明だったので全てを片付けるのに予想以上に手間取ってしまいました。しかし、貴方へのご恩と、その顔を忘れた日は一日もありません。
まずは、心ばかりの贈物として、どうかこの花束を受け取ってください」
「まぁ、綺麗………」
と、思わず呟いてしまうくらい、そのブーケは確かに美しかった。
全体のバランスも、包む布も、何より花自体がぴんと張りがあり、そこらの花屋で買ったものではないのは、素人でも解る。
「わたし、こんな凄いブーケを貰うの初めてよ」
と、ソフィー自身も花のように顔を綻ばせて微笑む。
「喜んで貰えたようで、光栄です」
と、カブもまたソフィーを見詰めて微笑むと。
じつに芳しい花の芳香が室内へと風と一緒に雪崩れ込んで来た。
カブが後ろを振り向くと、扉を開いたハウルが立っていて。
「ソフィー!今日も花が沢山咲いているよ!今日は外でおやつを食べよう!」
「あら、いい意見ね!早速用意しなくちゃ!」
マルクル、椅子を運んで、と声を掛けながら忙しなく、屋外のティータイムの為の用意に奔走する。
(こんの……腹黒魔法使いが!)
(とっとと国へ帰れヘタレ王子め!!)
見た目麗しい男性2人がメンチ切りまくっているのに、カルシファーだけが気づいていた。
そんな訳でティー・パーティーだ。
ハウルには甚だ不本意だが、カブも同席している。
ご一緒できるかしら、というソフィーの招待に断る訳も無く、それを阻害できる訳も無く。
敵同士が同じ空間に居る事を呉越同舟という。つまり、今のこのテーブルの状態である。
「……こんな風に、またティー・タイムを迎えられるなんて、少し前までは夢のまた夢だった。
ソフィーが見つけてくれなかったら、私はまだ荒野の茂みに突っ込んだままだった」
「あの時は、本当にビックリしたわ」
思い出したソフィーがくすくすと笑う。
それを面白くなさそうに眺めて、紅茶を啜るハウル。
「そのアップルパイ、お口に合うかしら」
「えぇ、とても」
「良かった」
ソフィーはほっとしている。何せ、相手は元カブだけど王子だから(いや元々王子なんだけど)、きっと口は肥えている筈だ。
「それはね、妹の店で買ったの」
「へぇ、姉妹が居るのですか」
「うん、妹はとてももてるの。だから、店も大繁盛でね。休みも滅多に取れないくらいで----」
「で、たまにソフィーの方から会いに行ってたんだよね」
めきっと音がしそうに会話に入り込んだのは、勿論ハウルで。
「今度は何時会うんだい?また、空を散歩しながら行こうか?」
ん?と優しく言いながら、さりげなくかつ明らかに意図を持って肩を抱く。
「----少しは礼儀というか、マナーというものを知った方がいい。
人の会話に紛れ込むのは、とても無粋な事と思いますが?」
じろ、と剣呑な視線に、ハウルはひょい、と肩を竦めただけ。
と、此処でマルクルが紅茶のカップをひっくり返してしまって、それがヒンに思いっきり掛かってしまったという小さなハプニングが置き、ソフィーはそれへの始末についた。
以下の会話はソフィーの入っていない。
「これは失礼。確かに、君とソフィーの数少ない対話に口を挟んだ僕に非があった。
世の王というのは常に人の言う事に耳を傾けるというのは、すでにもう過去の遺物になったんだね?それを知らずに本当にすまない」
「……どうして、そう人の神経を逆撫でするような事を……!」
「自分の言う事にイエスしか欲しくなければ、どうぞ自分のお城へ。今なら無料で、しかも最速でお届けいたしますが?」
「----君に決闘を申し込む」
「戦争を撤回した側から?」
「他者を巻き込まなければいいだろう?」
「なるほど」
がた、と席を立ち、どこからともなく両者は剣を持ち、構えた。
ある意味戦争を止めた2人同志の決闘なので、見ようによってはものすごく平和なのかもしれない。
紅茶をふき取った布巾を絞るソフィー。
ふと横を見れば、ハウルとカブが何やら剣で戦っている。
(決闘ごっこかしら。男の人はいつもまでも子供って、本当なのね)
ごっこじゃない上に原因は君なんだよ、ソフィー、と真実を彼女に告げられる人はこの場にはいなかった。
マルクルはヒンと遊びに行ってしまったし、隣のお婆ちゃんはすうすうと気持ち良さそうに寝ている。それを見ていると、自分も何だか眠たくなってきた。
(あぁ、素敵。風も空も、何もかも)
そんな風に思えるのは昔からじゃない。
帽子屋で働いていた頃には、ただただ時間と月日だけが流れていくような、そんな感じだった。
それに不満すらなかった。自分の人生はこういうものだと思い、それ以外に思いようも無かったからだ。
(……何時からかしら。世界がこんなに眩しくて、自分を優しく包んでくれるって事を知ったのは。
見るものの何もかもが、不思議で、神秘で、愛おしいって----)
そうね。きっと。
あの日、貴方と空を歩いたから。
暖かい。
火の爆ぜる音が、子守唄にすら聴こえて-----
……暖かい?
は、と目を覚ませば、其処は家の中だった。
時は、夕刻。
「あぁ、起きた?」
「ハウル!皆は?」
「マルクルとヒンはお使い。お婆ちゃんは自室で冬の皆のセーターを頑張っている」
「カブは?」
「帰ったよ」
あっさり言うハウルだが、事実は違う。
ソフィーが寝入ったと確認するや否なハウルは強力な魔法でカブを遥か彼方向うへぶっ飛ばしたのだった。ハウルは主張する。剣を使っていたが、それで決着をつけるとは言っていない。
グッバイ、とカブに向けた笑顔と歯は輝かしく光を弾いてた。
「そう……帰りの挨拶しそこねちゃったわ」
「また会えるよ」
運が良ければ、とこっそり付け加える。
「じゃぁ、此処にはハウルと2人きりなの……」
ふいに、ソフィーはクスクスと笑い出した。
「うん?」
ハウルが訝ると。
「可笑しいの。幸せ過ぎて。
自分はそんなに幸せにはなれないんだと思っていたの。そういうのはあっても、とても遠くにあって、でも末っ子でもないわたしに魔法使いはきっと来てくれないから、絶対其処には行けないんだって」
「でも君は来たね。自分の足で」
「えぇ。けど、思ったより近かったわ」
「じゃぁ、まだ着いていないんだよ。其処には」
「だったらまだ、これ以上の幸せがあるっていうの?
それは、少し怖いかもしれないわ。わたし、そうしたらどうなっちゃうのかしら?」
「さぁ、どうなるかは解らないよ。
ただ、その時、隣には僕が居るのは確実だけどね」
そうして長く伸びていた2つの影が重なった。
カルシファーなんて、とっくに気を利かせて散歩へ出かけていた。
後日。
ハウルの元に隣国の王子の捜索願いが依頼されたらしい。
ソフィーは心配する。
「何処に行ったのかしら」
「……本当にね」
ハウルは心の底から呟いた。
<End>
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