窓を開けて見えるのは、青い空と青い海原。だけ。
「着かないねぇー」
「ねぇー」
「そうだなー」
窓の桟に肘をついて、エグチくんとナカムラくんの言葉に合わせてリキッドが返事する。
島を出てそろそろ半年。確実に進んでいるこの船は、何処へ行くんだろうか。
誰も知らない、パプワも知らない。
パプワが知っている事と言えば、この進路の真反対にシンタローが居るという事くらいだ。
その日は雨で、外の風景はいよいよ殺風景になりつつある。霧雨のようなそれは、近くの海の色しか見させてくれない。
「この辺にも梅雨ってのがあんのかなー。陰気に降り続く雨だぜ」
「お前の料理も相変わらずだしな」
パプワのセリフに、う、と詰るリキッド。手探り状態で始めた料理は、今になってようやく吐くほどでは無くなった、というレベルに達した。
早く上達しなきゃな、とは思っている。美味しいと、笑ってくれるような、そんなものを作りたい。
特に。
パプワに。
出会った時より、なんだか覇気が無いのは、気のせいなんだろうか。
「窓、開けっ放しで濡れないか?」
「いや、それほど大げさには降ってない」
それに、雨の感触を手で感じるのが、少し楽しい。
「そうか。でも、暗くなったら閉じろよ」
「解っとるわい」
チャッピーでも嗾けようかと振り向けば、視界の隅に淡い光が見えた。
見えたというか。
”飛んで”来た。
「あ、蝶だ」
リキッドが言う。
「……何だか、弱ってるみたいだぞ」
ふらふらと、飛ぶよりゆっくり落ちているといった感じの蝶は、何気なく広げたパプワの手に着地した。
リキッドは顎に手をあてながら。
「……そーいや、蝶ってのは雨とかに濡れたりするとよくないって聞いたような……」
もしかしなくても、この蝶は雨の中を飛んでいたに違いない。天気を読み損ねたか、道に迷ったか。
「そうか。なら、乾くまで手で包んでいよう」
雨が止んだら、また飛んでいけばいい。手のひらの蝶に、そう呼びかける。
通じたのか、礼を言うみたいに羽が揺れた。
夜。皆は思い思いの姿勢で寝ている。
パプワは、壁に背を凭れ、手で未だ蝶を包んでいた。よくは解らないが、回復はしてきているみたいだ。小刻みに震えていた羽も、ぴんと伸びているし、手のひらを突くような触覚がくすぐったい。
体温、なんてある筈もないのだが、何だか触れている所が温かくなっているような気がする。
その温かさが、なんだか頭を撫でたあいつの手のひらに似ていると、パプワは夢うつつに思っている。何だか気になって、薄っすら眼を開けた。
と、蝶は其処には、手のひらには居なかった。でも依然として温かみはある。
立場が逆になっていた。今までパプワが蝶を包んでいたのだが。
今は。
ゆっくりと顔を上げみる。
すると、初めて同じ種族の体温をくれた人が、其処に居た。
「…………」
あいつじゃない。と、パプワはすぐに解った。
あいつはこんな表情なんかしなかった。いつも怒鳴っているか叱るか喚くかして、色々騒々しいヤツだった。そのくせ、妙に難しい顔をもしていた。簡単な事に対して。
間違ってもこんなに穏やかな表情を浮かべてたりなんかしない。
自分が眼を開けた事に気づくと、そいつは寝ていて欲しいと、ゆっくり頭を撫でる。
優しく、何度も。
「………」
その仕草の感触に、一旦は眼を綴じ。
そして。
やんわりとその手を退け、膝の上からも降りた。
「…………?」
どうしたのだろう、と相手が訝む。
パプワは。
「ごめんな」
と、謝った。
「礼のつもりでしていてくれているのは、解るんだ。
でも、ダメなんだ」
それだけは、絶対。
俯いてしまっているから解らないが、相手はきっと困ったような悲しい顔をしている。
「ごめんな」
感謝のつもりでしてくれた事なのに。
受け取ってやれなくて。ありがとう、って、言えなくて。
「…………」
空気の動きで、相手が腕を伸ばしたのが解る。
しかし、頭を撫でる手は降りてこなくて。
ふと顔を上げると、そこには光の粉を散らす蝶だけがいた。
窓のある方へ飛んでいく。
なんとなしに開けると、雨は止んでいた。
時間帯は、夜明けといった所だろうか。空の闇が薄まって、黒ではなしに青い色に見える。
「………」
そのグラデーションを眺めていると、すぐ横を蝶が過ぎた。
「もう行くのか?」
まだ休んでいけばいいのに、と言えば、自分にも行くところがあるのだ、と一周して見せた。
夜明けの空に、淡く蝶がとても美しく思える。
今度。
”いつか”また会って、そして別れる時。
その時、今、自分が飛び去っていく蝶を綺麗だと思っているようなものを、シンタローに残せたらいいな、と。
後ろは振り向かずに、思う。
<END>
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