パレンタインも目前というとある日。
あの、という小さな呼びかけに、シンタローは帰路の途中、3名ほどのクラスの女子に呼び止められた。
「実は、シンタローさんに頼みたい事が……」
「さっすがシンタロー!前日で呼び出しくらうとはのぅ!」
「邪魔者は退散すっべ!ほれ、アラシヤマ!きりきり歩けぇ!」
楽しそうにアラシヤマをげしげしと蹴って進み行く4人。
「あ、いえ、別にそんな事はしなくていいですよ」
シンタローを呼び止めたのと別の女子が、手をぱたぱたと振りながら気楽に言った。
それは一体どういう事なのか、と4人のみならず、シンタローも怪訝に思う。てっきり、誰かがマニュアルでも作ったんじゃないかと疑えるほど決まりきった告白のイベントだと思っていたのに。
「バレンタインにですね、」
やっぱりバレンタインじゃないか、といよいよ不可解に思う5人に解答が出される。
「彼にあげるチョコ、作って欲しいんです!」
『……………………』
固まる5人を余所に、3人はきゃいきゃいとはしゃぎながらなおも言う。
「だってシンタローさんってば、この前の調理実習、すっごい上手だったし!」
「ねぇ、あんな美味しいのお店でだって食べた事無かったもん」
「あたし達、皆料理が苦手で、ここは一つ頼まれてくれませんか?」
「……えー、えっと、」
未だ固まり続けている皆を代表し、トットリが眩暈を堪えながら言う。
「あ、あのね?やっぱり、そういう物は例え下手だとしても自分で作ってあげた方がいいと思うっちゃよ?少なくとも、ボクならその方が嬉しいっちゃ」
「あー、そういう事なら」
相手はあくまで気楽に。
「彼、甘いものは苦手なんで、結局食べないんですよ。一緒に食べようとか言って、体よくこっちに食わせたり」
「自分で作ったもの食べるのって、虚しいしー」
「でもあげないのも可哀想でしょ?でもプロとかの買うと高いし、クラスメイトにとびきり上手な人が居たら、頼まない手はないじゃないですか!」
「あ、でもちゃんと材料費はあげますよ?」
「何でしたら、今度合コンとかセッティングしてもいいし」
合コン!と目を輝かしたコージとミヤギを押しのけて、アラシヤマが口を挟んだ。
「おたくら、彼氏持ちと言いはりましたやないか」
「やだなー。それとこれとは別ですよ」
ねー、と顔を合わせあう女子に、そうか、違うのか……と女の子の実態を知ってしまった4人はたそがれる。
しかし、それ以上に。
少なくともこの付近一帯で、プロでもないのにバレンタインに女の子にチョコを作る事になってしまった男、シンタローに浴びせ掛かる2月の風は、いつも以上に冷かった。
作ったのは小さなチョコレートケーキ。あとはこれにチョコ掛けをして、飾りをつけたら出来上がりだ。
スポンジは綺麗に型から外れたし、焼き具合もばっちり☆
上出来上出来、と満足げに笑うシンタロー。
「……………」
……だめだ。自分は騙せない。
何が哀しくて標準以上の逞しい体躯の自分がバレンタイン前日に可愛らしいハートのチョコケーキなぞ作らねばならんのか。
しかしそれ以上にダメージだったのは、その後の彼女らの発言。
こいつにはあげようとは思わんのか、というコージの余計な一言から。
『だってシンタローさん、前は何処となく危険な香りがしてたけど、何だか今はお兄さんっていうかお父さんって感じで』
『下手すりゃお母さんみたいだし』
『何だか彼氏にしちゃいけないって感じ』
それってつまり異性として認めてないって事じゃねーか!とショック状態から回復した今ならそう叫べる。
(……そう思われるのって、絶対あいつが原因だよな)
そう思った時、原因が風呂からあがったようだ。
「シンタロー、出たぞー」
自分の膝くらいしかないパプワだが、シンタローの生活の実権やら決定権は、全部パプワが持っているように思える。
やっぱり小さい子を世話している所帯臭さってのは、他人に解るもんなんだなぁ……と明後日の方を向くシンタロー。
「何だ、オマエ、今おやつ作ってるのか?」
部屋に充満する甘い香りの発信源を突き止めたパプワが言う。
「食うんじゃねーぞ。あげる物だからな」
「誕生日か何かか?」
「いや、バレンタインデーだよ」
すると、それは何だと問うパプワ。
パプワは日本に来て日が浅い。にも関わらず流暢に日本語を喋れるのだから、余程IQが高いのだろう。正確に測った事は無いが。少なくとも、甘ったれの自分の従兄弟よりは高そうだが。
「元々は恋人達の為に奔走した人の命日。それにちなんで各国で恋人同士のイベントになってる訳だ。
とりあえず日本じゃ、女が男にチョコをあげて告白するのが慣わし」
「女があげるのに、どうしてシンタローがチョコを作ってるんだ」
「……何ででしょうねぇ、本当に」
ぴょぉぉお〜と室内なのに木枯らしを吹かせるシンタローだった。
ケーキは冷蔵庫に仕舞われ、後は手渡すのみになった。
調理器具を片付け、一息つくとソファにパプワがちょこんと座ってテレビを見ていた。珍しい。普段はあんまり見ないのに。
何を見ているんだろうと、声を掛けながら近寄るが、それを全部言い切る前、パプワが返事をする前に判明した。
澄み切ったエメラルド・ブルーの、南海。
ダイバー達が潜り、その中の生命達の様子をカメラに収めていた。
それを眺めているパプワの瞳は、何処か遠い。郷愁、とでも言えばいいのだろうか。幼い身だというのに、何ともノスタリジア。
パプワが、というかパプワの先祖達が住んでいた島はもう存在はしない。ここの歴史で江戸の中頃にてすでに大人が1人ようやく立てる程度の岩が海面から覗かせている程度で、今はもう海に沈んでしまった。
そこは小さいながらも立派な独立国家で、異国との交流はあまりなく、自給自足で過ごしていたのだそうだ。貿易をしなかったのは、自分の島を愛していたのだろうか。
しかし、それだけ住人に愛されていた島も、やがて人が住むには不適切だと下され、人々は大陸に移った。その後続いた王国も、パプワの前の世代に王室が解体され、近くの国と合併した。パプワは、時の流れに消えうせたその王国の最後の王様なのだという。その時はまるで興味も無かった話が、脳裏を過ぎる。
此処に来た時も、何処に住もうが自分は自分だ、みたいに不遜な態度だったけど、やっぱり帰りたいと思っているのだろうか。
そうだとしたら、何だか寂しい。
(……寂しい?何でだ。こいつのおかげで俺は私生活は乱されるわ他人に与える印象に悪影響を及ぼすわ、居た方がとても迷惑じゃねーか)
「おい」
「な、何だ?」
「ぼけっと突っ立って、何を1人百面相してるんだ」
そう指摘され、自分はそんなに表情に出てたのだろうかと赤面した。
何処と無く気まずい(シンタローのみ)ながらも隣に座る。自分だと膝が立ってしまう高さのソファーだが、パプワは足が床に着かず、ぷらぷらしている。
何とも微笑ましい様子に、笑いを必死に堪えた。
「なぁ、シンタロー」
「んー?」
「ボクにはチョコをくれんのか」
何の事やら、と一瞬思ったが、すぐに気づく。
シンタローがさっきあげると言ったのを、「プレゼントする」のだと受け取ったのだ。
それを説明しようと口を開け、その時ちょっと悪戯してみたくなった。
「俺のチョコは高価いぜ?お返しもそれ相応な物をくれなきゃなぁ」
にやり、と笑ってみる。バレンタインを知らないパプワは、案の定お返しって何だ、と訊いてくる。パプワに何か質問され、それに講釈たれるのは中々気分が良かったりする。普段ご主人様然としているパプワが、コタローと並べてもいいかな、ってくらい子供らしくなるからだ。
「バレンタインの丁度一ヵ月後、ホワイトディにはチョコを貰った人にお返ししなきゃなんねーんだよ。これは日本だけらしいけど」
「チョコをやればいいのか?」
「いや、この日はクッキーとかキャンディとか、マシュマロだな」
「マシュマロ?」
初めての単語を口にする時、パプワの大きな目がさらに大きくなる。これを知っているのは、自分以外に誰が居そうか。
「マシュマロってのはな、主にメレンゲって卵白をあわ立てたのを原料に作った菓子で、小さくて丸っこくて柔らかくて、甘くていい匂いがして、…………」
シンタローのセリフがあまりに途中で途切れる。そして、面食らったような表情をして、手で口を覆ってしまった。
「どうしたんだ?」
気分でも悪いのか、と明日の朝食を心配するパプワ。
「いや、何でも………」
シンタローは目を逸らして言葉を濁す。
あぁ、もう、一体何なんだか。
昼間女離れ久しい事に気づいて、急に飢餓感が増したのだろうか。
小さくて丸っこくて柔らかくて、甘くていい匂いがして、
”そう、まるでお前みたい”
(……こんなちみっ子相手に歯の浮く台詞言ってどーすんだってんだ!)
さっさと忘れようというシンタローの願い儚く、彼はその後マシュマロを見るたび思い出す事になる。
<END>
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