バッと勢いよくシーツを広げ、紐に掛けてこれで洗濯物は全部終了だ。
青い空に白い布がとてもよく染みる。
一仕事終えて、あぁ、何て爽快な気分………
「……に、浸ってる場合かッツ!!」
自分の哀しい1人ツッコミも、空に吸われる。
俺、こんな所で何をやってるんだろ、と今更のように思う。本当、今更だけど。
本来なら、自分の計画(というか希望、願望)では今頃最愛の弟と仲良く暮らしている筈だ。こんな島でなくて、ちゃんとフツーの人間界で(どうもここは人の住む世界ではないように思える)。
間違っても、未確認生物の犇く島で王様な少年とやたら噛む犬と一緒に生活……下僕生活なんてしている訳が無い。
しかし、現実は無情なまでに事実だけを克明に思い知らされる。
シンタローの手には食材と調理器具。そしてここは台所。
窓の外は南国の景色。
はーぁ、と思い溜息。
何が憂鬱かと言うと、この環境に大分慣れてしまった自分の事だ。
いかんいかんこんな事では。
自分は弟の所へ、一刻も早く向かわないとならないのに。
それと、まぁ、もう1つ。
これは男の事情ってヤツで。
女っ気のまるでないこの生活で、何の不満も抱かないで過ごしているというのは男として些か問題があるのではないかと思う。
最も相手が居ない現状ではどうしようも無いので、そうなられても困るのだが。
この島にいる、自分以外の人間は、刺客としてやって来た同僚に、一緒に生活する子供だけ。
盛る気にもなれんわな、と悟ったように思う。
家から、おわー!という間抜けな声がした。
何事か、と中に入れば、左手を蜂蜜まみれにしたシンタローが、1人で慌てていた。
「どうした。騒がしいな」
「あッ!パプワ帰って………あれ、チャッピーは、」
「近くで昼寝している。おやつはまだか」
「いや、それを作っていた時にだな……」
早くせんとドロップキックをするぞ、と言わんばかりの表情のパプワに、シンタローは事情を説明する。
曰く、蜂蜜の入った壷を、ふとした拍子に手にぶつけてしまい、とっさに手を伸ばした為に落とす事は免れたが、中身が結構手に垂れたのだという。さっきの悲鳴みたいなのは、それの為だった。
確かに、シンタローの足元には、小さな蜂蜜の溜まりがある。
「だから、片付けるまでちょっと待っててくれよ」
自分の失態が情けないのか、早口で言った。
蜂蜜に濡れた手を持て余しながら、床を拭く。
「……勿体無いな」
「へ?………」
ふいにパプワの声がして、くん、と腕を引かれる。
蜂蜜に濡れた方の手だ。
パプワは、当然の事みたいに自然に、それに口を寄せて、舌で掬い舐め取る。
「…………」
自分の中で何かが止まった。あるいは、動いたのかもしれないが。
上げていた為、腕の方にまで垂れたのを、丁寧に舐めてから、少し溜まっている掌へ口を埋める。何とも言えない濡れた音がする。
それから指の先へ移動し、垂れているのを粗方吸い取ってから、一本一本吸い付く。親指から、順に。
「……………」
外気の暑さではない熱さ。
粘膜に包まれる感覚。その時に背筋に駆け上がったものは。
やはり。
パプワが中指の第二間接まで飲み込んだ時、その指を更にぐ、と喉にまで押し込んだ。
「-----ッ!げほっ……!!」
「……、あっ、悪ぃ……」
さすがにパプワも咽た。喉を押さえてけほけほと咽こんでいる。
咳き込んで、薄っすら紅潮した頬に、喉の異物感のせいで涙が少し溜まっている。
「何をするんだ」
む、と上を見上げる。上のような状態の顔が、まともにシンタローに飛び込んだ。
思わず泳いだ視線は自分の左腕に落とされる。
蜂蜜は大分落とされている。
パプワが舐め取ったからだ。
小さい舌だった。唇も。
何も知らないようなそれに、指が包まれた時、殆ど反射的に奥まで入れていた。
そこから齎される感覚を、欲して。
(----マジかよ………ッ!)
「?どうかしたのか、シンタロー?」
顔を覆ったシンタローを、気遣うようにパプワが覗く(だってまだおやつを作って貰ってないから)。
シンタロー、と自分の名前を呼ぶ時の唇の動き、少し覗く白い歯、その奥の赤い舌。
それからスロー再生みたいに自分の視界へ訴える。
ごく、と。
喉が鳴った。
「------ッツ!!!」
「おーい?シンタロー」
顔を覆っていたかと思えば、今度は口を覆って。
「どっか具合でも悪いのか」
「いや、そうじゃ………って、ある意味そうかも………」
覆しかけて、肯定する。
「ちょっと、外、出て来るわ……」
「それより先におやつ作っていけ」
今のシンタローにパプワの発言は鬼のように思う。
「----帰ったら即行で作るから!だから今は行かせてくださいぃぃぃぃぃ!!!」
「あ!」
シンタローが本気でダッシュしたので、パプワは掴み損ねた。
帰ったら、絶対殴ってやる、と今から拳を固めた。
ばしゃばしゃと湖で手の汚れを落とす。
蜂蜜のと、それから。
「……………」
思い切って、湖にどぼんと浸かる。冷やさないと。とにかく頭を。
別にパプワには何の他意も無い。言った通り、した通りに蜂蜜が勿体無いから舐め取っただけ。自分の腕だったのはただの結果。
でも。
執拗に、何度も何度も丁寧に舌で、唇で自分の腕を辿るその仕草はまるで。
愛撫のようで。
じんわりとそれで痺れる頭の奥で、果たして何を思っていたか。
いや、それに気づいてはいけない。決して。
ざば、と湖から出る。たっぷり濡れてしまったが、この気温なら暫くすれば乾くだろう。
そうだ、この気候がいけない。
こんなに健全に空が晴れているものだから、あんな背徳した妄想を抱くのだ。
全部を天気のせいにして、シンタローは家に戻った。
<END>
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